ZAITEN2022年07月号

【対談】佐高信の賛否両論

佐高信vs.西山太吉 より劣化する日本の「密約民主主義」

カテゴリ:インタビュー

にしやま・たきち――1931年山口県生まれ。慶応義塾大学法学部卒、同大学院修士課程修了後、毎日新聞社入社。同社勤務中72年沖縄返還を巡る密約取材により国家公務員法違反容疑で逮捕、78年最高裁で有罪確定。2005年謝罪と損害賠償を国に求め提訴したが、敗訴。08年外務省・財務省への情報公開請求に加わったが「不開示」処分。改めて密約文書開示請求訴訟を起こし、東京地裁で全面勝訴したが、東京高裁は原告の請求を棄却、14年最高裁で上告棄却。著書に『記者と国家 西山太吉の遺言』『決定版 機密を開示せよ―裁かれた沖縄密約』『沖縄密約―「情報犯罪」と日米同盟』など。


佐高 西山さんに一番お聞きしたかったのは、「自民党宏池会の真髄とは何か」という話です。池田勇人を総理にするために生まれた宏池会は、自民党ハト派の名門派閥として今日に受け継がれています。しかし私は、その延長線上にいるはずの首相、岸田文雄は全く評価に値しないと考えます。西山さんは毎日新聞の政治部時代、宏池会の黄金期を取材してこられましたよね。

西山 私の政治部の12年間は、宏池会とともにあったと言っても過言ではありません。経済部から政治部に移ったのが1960年、ちょうど安保闘争の最中のこと。間もなくして岸信介内閣が倒れ、池田内閣が始まり、大平正芳が官房長官に就いた。偶然にも私は大平と遠戚で、官邸詰め記者として信頼関係を築きながら、政権や自民党内の動向を掴んでいきました。その後は霞クラブ(外務省担当)や平河クラブ(自民党担当)でキャップを務め、政局や外交、沖縄返還交渉を取材。72年に沖縄返還の密約の一端を暴き、例の事件で一審無罪判決が出た後、毎日新聞社を辞めました。

佐高 その間の政権は池田、佐藤栄作、そして大角(大平・角栄)連合の田中角栄ですね。西山さんは大平正芳に食い込んで、何度もスクープを連発していた。

西山 知っての通り、大平は池田の右腕中の右腕で、角栄とは盟友関係でした。そして私は大平を「お父ちゃん」と呼ぶ、いわゆる〝一番記者〟。もうね、重要情報は全部筒抜けやった(笑)。例えば政治部2年目の61年、私は第2次池田内閣の改造人事をすっぱ抜く特ダネで一面トップをとりました。改造内閣のメンツは、安保を巡って対立していた佐藤栄作と河野一郎、三木武夫らを同時に入閣させる「実力者内閣」でした。

佐高 主流派と反主流派をひっくるめて、全て閣内に入れた。

西山 もともと池田内閣は池田・佐藤・旧岸の主流3派を主軸にしていた。そこに新安保調印に批判的だった河野や三木をあえて入れる。そうすることで、挙党一致体制の構築を図ったのです。私は、この手法は宏池会の精神をよく表していると思いますね。

 もともと宏池会の名称は中国の後漢時代の漢詩からとられています。「高崗の榭に臥し、以って宏池に臨む」。何事にも動じない綽々とした気構え。〝寛容と忍耐〟でとことん話し合い、調整して結論を出す。それは日本の民主主義の適切な方法でもある。

佐高 大平は政界屈指の知性派でしたが、芯も太かった。若き日の加藤紘一が「将来、大平さんに追いつかないだろうなと思うのは、あの強さだ」と語っていました。

宏池会の真髄とは

西山 大平がよく私に言っていましたよ。政治というものは、情勢を見、人間の様々な行動と欲求を見れば、そこに生ずるストラグル(葛藤)から前に進む何かが必ず表れる。競り合いと混乱の中でバランスをとり、中庸を見出し、言葉を尽くして国民に説明する。それが政治だ、と。だから大平は「法律万能主義」が大嫌いだったんです。


佐高 「全ての問題は法の力によって解決できる」という立場に立たなかったと。

西山 そうです。むしろ法律をつくったり、条約を結ぶことは、人間の能力を阻害することであって、本来やるべきではないという考えでした。統制するのではなく、思想と行動の自由を十全に保障し、ダイナミックに活動する。そこで生まれる軋轢や闘争を押さえつけるのではなく、交渉や話し合いといった人間の力によって、調整を図る。これぞ宏池会の真髄に他なりません。

佐高 異論や対抗を封じようとする岸信介とは対照的です。岸は警職法(警察官職務執行法)の改正にも乗り出しましたが、池田たちが反対した。

西山 警察力で民衆を鎮圧するのは一番下手なやり方ですよ。新安保条約の締結による米国の日本防衛義務も然り。結局は国家権力によって教条的な統制を行うことになるから、必ず矛盾が生まれる。

佐高 法で統制するやり方は、福田赳夫の清和会に受け継がれ、岸の孫である安倍晋三まで繋がっていきました。特定秘密保護法や新安保法制なんてその典型例です。

西山 清和会は宏池会のアンチテーゼ。問題を認識したら、それをどうやって押さえつけるかという考えが先行するんですよ。

佐高 しかし、宏池会の現会長である岸田文雄には、大平たちの精神が生きているとは思えないのです。例えば岸田肝いりの経済安保推進法なんて、政府が勝手に何を規制するか決めるわけですから、実際には軍事法でしょう。2020年に大川原化工機という中小企業の社長らが「軍事転用可能な化学機械を無許可で中国に不正輸出した」なる冤罪で警視庁公安部に逮捕されましたが、こういう事態を繰り返してしまいかねません。

西山 池田と大平、あるいは田中角栄と大平が提携していた時代の宏池会の精神は、確かに今や見る影もありません。大平が首相になって、亡くなった後は鈴木善幸、宮澤喜一が少しやりましたけど、そこから後継者が全然いなくなってしまったね。加藤紘一も「加藤の乱」を起こしただけ。あの程度の認識力と指導力では宏池会を背負ってはいけませんよ。荷が重すぎる。

佐高 いわんや岸田をや、ですね。


日本を売った佐藤栄作


佐高 岸信介的なるものと宏池会的なアプローチの違いは、沖縄返還にも影響しましたか。

西山 そう思いますね。もともと池田は実現に戸惑いを見せていました。なぜか。沖縄返還は絶対に必要な要件だが、タイミングが悪かったからです。大平は当時、ライシャワー米駐日大使から「基地の最大限の自由使用が認められない限り、沖縄返還には応じない」と説明されています。米軍にとって沖縄はベトナム侵攻の最前線。事実上、日本の戦争参入になりかねない。大平は私に「とにかく自由使用だからなあ」と苦い顔で話していました。

 そこに〝反池田〟の佐藤栄作が飛びついた。池田は61年訪米後の記者会見で、沖縄返還について「難しいね」と言ってしまった。それに佐藤はほくそ笑んだ。「よし来た! 池田がやらないならばオレがやれるぞ」と。64年7月の総裁選で池田3選を阻止すべく立候補した佐藤は、沖縄返還交渉を正式な公約にしました。宏池会の消極論を逆手にとったんやな。

佐高 佐藤は沖縄返還を自分の手柄にしようとした、と。

西山 その通りです。そのために米国におべっかを振り撒いた。南ベトナムを訪れ、米国のベトナム政策と傀儡政権を絶賛するスピーチまでしてね。

佐高 佐藤は「核抜き、本土並み」を謳い文句にし、69年には佐藤・ニクソン共同声明で返還が大筋で妥結されました。しかし、そこには国民に隠された返還の条件があった。

西山 「メモランダム13号」という、米国家安全保障会議が決定した69年5月28日付の文書があります。米国が突きつけた条件は、「緊急時の核兵器の再貯蔵と通過の権利」と「韓国、台湾、ベトナムに関して、通常兵器による最大限の基地自由使用」でした。佐藤はこれを呑んだ。非核三原則はこの時点で形骸化。今日まで在日米軍基地を固定化させる元凶となった。

 先ほど来、私は「自由使用」と言っていますが、沖縄返還が意味するのは、米国による「沖縄の自由使用」ではなく、「日本の自由使用」ですよ。安保条約では在日米軍の出動に日本政府との事前協議が必要という建前ですが、これが空洞化するわけですから。

佐高 佐藤栄作は自分の功績のため、日本の主権を放棄した。あまり使いたい言葉ではありませんが、これでは「売国」でしょう。

西山 「戦争勢力」やね。彼に平和賞を与えたのは、ノーベル賞史上最大のミステイクよ。

佐高 消防署が放火犯を表彰するようなものですよ。しかも、米軍が負担するはずの費用を日本政府が密かに肩代わりまでしていた。71年、この密約を西山さんが単独でスクープしたんですよね。

西山事件と親友ナベツネ

西山 71年当時、軍用地の原状回復費用の400万ドルについて、外務省は「米国が払う」と説明するが、米国筋は「1ドルも払わない」。つまり、どちらかが嘘をついている。私は真相を探ろうと、外務省の安川壮審議官の執務室を訪れ、この矛盾について雑談した。それを女性秘書官が聞いていた。私から機密文書を持ち出してほしいと要請したことはない。ない、が、彼女が持ってきた内部資料の中に、金を肩代わりする約束を示す極秘電報が含まれておった。

佐高 あの時、沖縄返還交渉の密約に触れた記者は西山さんだけでした。しかし西山さんは、その取材手法が国家公務員法違反だとして逮捕され、最高裁まで争ったが有罪にされた。米国の公文書で密約の存在が証明され、交渉の全体像が明るみになったのは00年以降。当時外務省アメリカ局長の吉野文六も密約の存在を認めました。それでも歴代日本政府はシラを切り続けています。日本の民主主義を考えれば、私は西山さんがヒーローだと思いますが......。

西山 いや、ヒーローじゃあない。ただ、新聞記者は知ったことを伝えないといかんからね。私が明かしたのは氷山の一角よ、巨大な密約の。米国は日本が肩代わりしたカネを使い果たし、5年後に「思いやり予算」になった。いまだ国会で説明されないし、情報公開も閉ざされておる。私の裁判自体、起訴事実が国家機密の漏洩なんだから、国が言うように「密約はない」がウソだったことが証明されたことにより、裁判自体がでっち上げとなる。日本の民主主義は、もう〝密約民主主義〟ですよ。
佐高 裁判では読売新聞の渡辺恒雄(現主筆)が証言台に立ち、西山さんを擁護しました。今も交流がありますか。

西山 ナベさんは私より5歳上で、記者としてはライバルであり、親友です。最近、久しぶりに電話で話しましたが、元気そうだったね。懐かしかったなあ。

佐高 西山さんの事件を題材にした山崎豊子原作の小説『運命の人』はテレビドラマ化されました。西山さんの役を本木雅弘が、ご夫人の役を松たか子が演じた。私も毎週、視ていましたよ。

西山 本木さんはというのは、良い俳優だねえ。撮影前に手紙をもらってファンになったよ。

佐高 『運命の人』を読んだナベツネが激怒したこともありましたね。自分をモデルにした登場人物が悪者のように描かれて、情報を提供した西山さんにも責任があるという内容を『サンデー毎日』に寄稿して。その後、ナベツネと和解したということですか?

西山 そもそも、私は山崎の取材は受けたけども、彼女の小説の内容にああだ、こうだと関与できるわけがないでしょう。あれはナベの早とちり。そう伝えると、彼も分かったようで、詫びの手紙をもらいました。亡くなった女房が言ってましたよ。「この手紙は宝物にしないとダメ。渡辺さんは謝罪文を書くような人じゃないんだから。貴重品ですからね」と。......でも、どこかにいっちゃった。


「違い」を認める保守政党


西山 今だから言えますが、私は自民党キャップの任を終えたら、政治家になろうかと考えていたんですよ。お父ちゃん(大平)からも「お前、やれよ」と言われるくらい、全幅の信頼を置かれてましたから。出身が下関なので旧山口一区から出馬して、角栄−大平ラインの継承者になる。自信はありましたね。......こういうことを言うのはおかしいですかな?

佐高 いえいえ。ifの話ですが、西山さんが大平派として、福田派の安倍晋太郎、田中派の林義郎らと下関で議席を争っていたら自民党史はどうなっていたでしょうね。興味深いです。

西山 それにしても、今は「この選挙区にこの人あり」という人物がいませんね。

佐高 名前も分からない「自民何某」ばかり。みな、ハンコを押したような候補者です。

西山 古い思想と非難されるかもしれませんが、私は往年の自民党の方が良かったと思いますよ。現在の小選挙区制は一人一区ですから、党の幹事長と首相官邸の顔色を伺ってばかりになる。公認を取り付けたいがために追従する。自己主張ができない。個性も出てこない。それが今の自民党です。

 昔は同じ自民に属していても、みんな違った。だから良かったんです。右寄り、ちょっと右寄り、中道、ちょっと左寄り......対米姿勢も中国問題もスタンスが違う。保守勢力というのは、そうやって違う意見を大世帯で抱えるから面白い。ある意味で野党的体質すら自民党が内包していたから。

佐高 「野党より野党寄り」が自民党にいましたね。中でも特に違いを認められるのが宏池会だった。岸から池田への交代も全然キャラクターが違いますものね。

西山 岸は、石橋湛山がいなくなったから首相になれたんですよ。湛山は、非常に広範な見識と視野の持ち主でした。病により2カ月で辞職しますが、もしも5年、6年と総理大臣をやっていたら、岸内閣は存在せず、湛山から直接、池田が継いだかもしれません。宏池会の〝寛容と忍耐〟はもともと湛山にあって、彼の小日本主義や経済合理主義から影響を受けた。湛山なら米国の手先とかではなく、日中の問題を独自の構想できちっと整理しただろう。驕ることもなく、見下すこともなく、淡々と自分の個性を生かす人ですよね、湛山は。

佐高 67年、湛山が82歳で書いた「政治家にのぞむ」という一文に〈私が、今の政治家諸君をみていちばん痛感するのは、「自分」が欠けているという点である〉とあります。昨今の政治家は他人の道具になり下がっている。選挙に勝つためとか、良い地位を得ようとか、目先に気を取られ、親分の言うことに盲従している。政治の堕落はそれに起因するのだ、と。

西山 同感ですね。詰まるところ、昔の政治家とは何だったか、という話に行き着きますな。

佐高 ええ。西山さんは田中角栄とも非常に近かったわけですが、どのような印象を持っていますか。

西山 角さんは自分で考えて行動するのが基本軸。だから何をやるか分からない。「日米同盟が絶対」という枠組みに縛られないので、ある意味では米国にとって怖い存在でした。大平は角栄を「天才」ではなく「奇才」と評しましたが、私は二人の同盟こそ政治の芸術やと思ったね。学識とバランス感覚の大平、決断と実行力の角栄。見事なコンビです。

佐高 74年に角栄が退陣を表明すると、椎名悦三郎は次期首相に三木武夫を推しました。椎名は岸の腹心でしたが、大平とはやはり悪かったのですか。

西山 「椎名裁定」ね。三木が左寄りで、その後に右寄りの福田赳夫と、順々に総裁を回していって何とかしようとしたわけ。大平と椎名の仲は特段悪くはなかったと思う。実際、私は大平と椎名と一緒に料亭でずいぶん飲みました。大平は椎名を尊敬し、椎名は大平を評価していた。それに、椎名は岸の下で働いたが、純正の岸従属部隊だったかと言えば、そうではない。悠然として動じず。オリジナルの個性を持っていましたよ。


今は小物ばかりだ


佐高 角栄、三木、福田と来て、いよいよ大平が総理の椅子に座るが、80年の選挙の最中に急逝してしまう。臨時の首相代理を務めたのは盟友の伊東正義でした。
西山 私なんかは、もし伊東が生きていれば、宏池会の精神は脈々と今にも受け継がれていたと思いますがね。彼は最初から最後まで徹底した大平ファンでしたから。

佐高 89年のリクルート事件で竹下登が降りた後、国民からも伊東総理待望論が澎湃として湧いた。ところが伊東は「本の表紙だけ替えても、中身が変わらなきゃしょうがない」と言って、自民党総裁に就任しませんでした。なぜ、自ら総理の椅子を蹴ったのか。

 私は91年に一度、伊東さんと座談する機会がありました。彼が「別なところに司令塔があるから、自分が引き受けても海部俊樹君と同じことだよ」と説明するので、私は「いったん引き受けて司令塔を蹴飛ばすこともできたんじゃないですか」と聞いたんです。すると伊東さんは「できないことはないと思うが、おそらく党が割れたでしょうね」と言った。私がなおも「割っちゃまずいですか」と問うと、「党を割ってという自信はなかった」と。

西山 ......そうでしたか。確かに伊東は世俗的ではない、超然たる人でした。大物ですよ。ああいう政治家はもう出ないでしょうね。

佐高 伊東は会津藩士の末裔で、何か「拒絶の美学」のような、信念を持って固辞する時にこそ光るものがあったように思います。

西山 懐かしいね。みんな、政治家の顔をしていた。大平、田中、三木に福田。自民党はまさに群雄割拠ですよ。だから、野党は追いつけなかった。

佐高 総理になろうという政治家には、功罪はあれども、みな人間的な魅力があった。しかし、今の総理には存在感すらありません。

西山 日本人自体の劣化もあるでしょう。私は旧制中学2年の頃に終戦を迎え、今年で91歳。あの侵略戦争と敗戦直後を経験した世代は、国家とはどうあるべきか、何をしなくてはいけないか、問題意識と提言を必ず持っている。しかし、何もないじゃないですか、今の日本人は。自分のことばっかりや。生活と地位だけ。国家、社会のことを考えて論ずる人は少ない。だから政府が自分たちに都合の良いことだけできる。政治家もほとんど戦争を知らない。メディアも戦争を知らない。伝えるのはもっぱら娯楽と庶民の関心事で硬直しとる。

佐高 そうですね、まったく。

西山 ......みんな死んでしまいました。石橋湛山、大平正芳、田中角栄。もう今はいない。今は小物ばかりだ。


撮影=田川基成

購読のお申し込みはこちら 情報のご提供はこちら
関連記事

佐高信 vs. 倉重篤郎「自民党劣化の元凶は世襲政治にあり」

特ダネ記者「放言座談会」

三宅芳夫「民主主義は『スラップ訴訟』に屈してはならない」

真山 仁「『ハゲタカ』の作家に学ぶ〝疑う力〟 」

野田佳彦「政治家は〝歌舞伎役者〟ではない‼」

【著者インタビュー】「池田大作と創価学会」

鈴木宣弘 脱・「今だけ、金だけ、自分だけ」

特ダネ記者「放言座談会」

佐高信 vs. 森 達也「傍観を続けるメディアに存在価値なし」

西野智彦「アベノミクスの熱狂は幻想だった―金融政策への過大評価から目覚めよ」