ZAITEN2025年06月号
【対談】佐高信の賛否両論
佐高 信 vs. 江田憲司「波乱万丈の政治家が語る『財務省の大罪』」
カテゴリ:インタビュー
財務省の〝受託〟を元に戻す
佐高:最近「解体デモ」も話題になっていますが、財務省にはやはりそんなに力がありますか?
江田:往年の勢いはないですが、「腐っても鯛」ということですね。政治を翻弄して手の平の上で転がす術は天下一品でね、転がされる政治家も情けないですけど。「予算編成権」から「税制の企画立案」「国税の徴税・査察権」実質的に金融行政まで握っている、こんな強大な官庁は世界中どこを探してもないわけですから。
大蔵改革を推し進めた当時は「昔陸軍、今大蔵省」と言われて絶大な権力集中でした。過剰接待のスキャンダルを受けて、私が総理秘書官として手がけた「財政と金融の分離」はある意味、大蔵省の解体でした。自民党は大蔵省と一体となって政権運営してきましたから大反対でしたが、組織、権限も人事も完全分離しました。金融行政は極めて専門技術的な知識や経験もいるのに、主計の主流から外れた素人が銀行局長などに任命される。このままだと日本の金融が危ない。そういう危機意識もあって分離しましたけど、橋本龍太郎政権が終わってから財務省べったりの自民党政権が続いたおかげで、金融と財務の大臣は併任となり、金融庁の人事も財務省の植民地支配になった。
佐高:いつの間にか元の木阿弥。
江田:あの当時、大蔵省に対抗する政治家も役人もいなかった。だから、大蔵省に批判的な世論をバックに橋本首相を説得しながら進めました。追い風になったのは、所謂「ノーパンしゃぶしゃぶ」に象徴される過剰接待事件でした。後に、当時の東京地検特捜部長にお会いする機会があって、裏話をお聞きしましたが、地検の中でも大蔵省にガサ入れするのに反対の声が強く、検事総長に直訴して、やっとOKをもらったとのこと。当時の国民の怨嗟の声は、今の財務省解体デモの比じゃなかったですからね。
佐高:あれだけやって財金分離が元に戻ったのは大問題ですよね。
江田:日経新聞ですら社説で「大蔵改革なくして行革なし」と書くくらい、政権運営のためにも財金分離は必要不可欠だった。四面楚歌の中、改革を進めましたよ。そうしたら週刊誌に叩かれる、叩かれる(笑)。僕は官僚出身だったから金銭スキャンダルがない、当時独身だったから女性スキャンダルもない(笑)。そうするとね、態度がでかい、横柄で礼儀作法がなってないだとかで写真週刊誌の一面トップです。調べたら大蔵省の幹部が裏で手をまわして書かせていた。「我ら富士山、他は並びの山」と他省庁を睥睨し、世論操作、情報操作までする。
佐高:金を握っているわけですからね。
江田:本当にね、予算編成権は絶対ですよ。森喜朗内閣になって「財政首脳会議」の創設を大蔵省が画策したことがあった。要は、予算の基本方針を決める「経済財政諮問会議」には民間有識者が入っているから都合が悪い、政治家だけで構成する財政首脳会議をその上に置けば、大蔵省が簡単に牛耳れるという発想です。結局、その構想は潰えましたけどね。
......続きはZAITEN6月号で。