2021年07月号

〝辛口評論家〟佐高信の反論インタビュー

全文掲載【佐藤優vs.佐高信「名誉毀損バトル」】佐高信「言論人なら法廷でなく『言論』で戦え!」

カテゴリ:事件・社会

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佐高信氏

かつては共著を出版したことのある佐藤優氏から著作を巡り、名誉棄損で損害訴訟請求を起こされた佐高信氏。その心境はいかばかりだろうか? 緊急インタビューを申し込んだ――。

 私は『佐藤優というタブー』(旬報社)で、佐藤優を徹底的に批判した。すると、佐藤は突然、私と版元を名誉毀損で訴えてきた。


 届いた訴状には、佐藤は作家活動の他、大学講師や高校生の教育活動を行なっている、とあり、記述の9点について、佐藤の「作家としての名誉・信頼を傷つける」「人格を否定する」「作家としての尊厳を否定する」などと連ねられている。


 そして、本書を読んだ佐藤の読者やら受講者とかが、この内容を信じると、「作家・言論人としての信用・社会的評価は失墜し、原告に対する反発は多大なものになると思われる」らしく、またその上、「このように一度貶められた名誉・人格を元に復することは困難」だから、損害として1000万円を払え、と言うのである。


 正直、驚いた。そして、はっきりと分かった。佐藤という人物は、私が思っていたよりもはるかに小物であり、プライドがないのだ、と。


「言論人」ならば、その矜持をかけて言論で勝負するものだ。佐藤は様々な出版社と絡み、数多くの媒体で原稿を書いているのだから、いくらでも筆をもって私を批判し返せばいいはずだ。にもかかわらず、なんら表で反論せず、裁判所という司法権力にお助けを求めるとは言論人失格である。「言論で負けました」と自ら認めたに等しいだろう。

「比喩」を知らないのか

 私は本書の中で、佐藤が2016年3月2日付の『東奥日報』掲載の電気事業連合会による「全面広告」へ出たことに関連し、「最低でも1000万円はもらっているだろうが」などと書いた。当初、佐藤から送られてきた内容証明郵便には、この根拠を示せとあったので、私は金額を訂正するにやぶさかではないから、では、いくら受け取ったのか開示せよ、と返答した。


 すると、佐藤側はそれに一切答えず、訴状を送りつけてきたのである。訴状では「なんら根拠もない」などと宣っているが、私にはそう推測する根拠はある。


 スポーツ文化評論家の玉木正之は、ブログ(『タマキのナンヤラカンヤラ』11年3月12日)で、原発の広報記事へ登場を依頼された時のギャラが、インタビュー記事1回で500万円だったと告白している。玉木によれば、言いたいことを言ってくださいと言われたのに、「原発は基本的につくらないほうがいい」という自分の主張と折り合いがつかず、結果として記事はボツになったという。福島原発事故の前ですら500万円なのだから、相場が膨れ上がっていても不思議ではない。


 なお、私は16年の浜矩子との共著『大メディアの報道では絶対にわからない どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)でも原発広告の問題を指摘している。


 私は、佐藤には3つのタブーがあると書いた。人物で挙げれば、池田大作、鈴木宗男、竹中平蔵だ。佐藤が訴訟までして隠しておきたいのは、このことではないのか。


 まず、佐藤が昨年に朝日新聞出版から出した『池田大作研究 世界宗教への道を追う』は、歯の浮くようなお世辞ばかりで、さながら創価学会の〝PR本〟である。学会員にとっては『人間革命』を再読させられているようなものだろう。18年に田原総一朗が書いた『創価学会』(毎日新聞出版)はまだ距離感があったが、佐藤の場合は〝べったり〟と言う他ない。訴状を見ると、私が「卑劣な学会擁護」と指摘したことが不満らしいが、最近も佐藤は公明党代表の山口那津男と『公明党 その真価を問う』(潮新書)なる共著を出している。


 次に鈴木宗男だ。佐藤は鈴木が反自民になれば反自民になり、親自民になれば親自民に流れる。私が「手錠でつながれた逃亡犯のように、右に行くにも左に行くのも一緒に動かなければならない」と書いたら、訴状では「『手錠でつながれた逃亡犯』の指摘は、読者をして原告のありもしない姿を想像させる」として名誉毀損だと吠えてきた。比喩表現というものを知らないらしい。失笑である。

相手の話を静聴しない

 そして竹中平蔵だが、佐藤は私との共著『世界と闘う「読書術」思想を鍛える1000冊』(集英社新書)で、竹中を最大限に持ち上げている。一方、マルクス経済学者の鎌倉孝夫も尊敬すると言って憚らない。私は、そんな佐藤に「打算を感じる」わけだが、訴状ではそれが誹謗中傷だと言う。マルクスと竹中が頭の中で同居するというのは私には〝分裂〟としか思えない。保守派のメディアでは『神皇正統記』や『太平記』を持ち出し、革新派の前では『資本論』を語る。こうした矛盾を「武器商人的狡猾さを知覚する」と表現したのだ。論評の範疇である。


 博覧強記ではあるが、実際は受験勉強的な知識の蒐集であり、なんら思想的裏付けがない。そんな佐藤を、私は〝雑学クイズ王〟と評した。雑学のネタは余るほど持っている。このオタク気風の雑学ぶりに幻惑されてしまう人があまりにも多すぎるのである。


 私と佐藤は、過去に2冊の対談本を著し、食事もする間柄だったが、あちらこちらで調子の良いこと言う様が目立ちすぎて、ある時から飯を食うのを止めた。佐藤は食事の時も大抵、一人で喋り、基本的に相手の話を静聴することはない。西部邁と対照的だと思った。西部は保守思想の論客として立場を真逆にしていたが、話はできた。それは互いに言論には言論で返すという流儀を尊重していたからだ。佐藤にはそれがないように見える。一方的に喋る特徴は、ある種の恐怖心の表れではないか。反論が怖いから無意識的に身構えているのだろう。批判に強いこと、あるいは批判を取り入れられることが、言論人の器量というものだ。


 私が『噂の真相』誌上で猪瀬直樹を批判していたころ、猪瀬は周囲に「訴える」と吹聴していたらしいが、裁判になることはなかった。物書きのプライドが僅かでも残っていたのだろう。だから佐藤には失望した。かつて佐藤は猪瀬を「本物のニセモノ」と評したが、これでは猪瀬以下である。


 言論による反論もなく、黙殺するでもなく、出し抜けに訴えてきた背景には、主要メディアを右から左までほぼ抑え尽くしているという意識もあるのだろう。


 実際、某出版社では佐藤批判の原稿の収録を「佐藤さんの本を出すつもりがあるから」と断られたことがあった。佐藤優自身が出版界でタブーと化しているのだ。


 だが、言いなりばかりで周囲を固め、批判を聞き入れなくなった人間の筆力は劣化の一途を辿り、次第に聖域は空虚となり果て、そして最後は〝自壊〟していく。


 あらためて、「言論人であるなら、言論で戦え」と言いたい。(敬称略)

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