ZAITEN2021年3月号

ジャーナリスト 西野智彦インタビュー

黒田バズーカの混乱は必然だったのか 「政治主導」で漂流する日銀

カテゴリ:企業・経済

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もはや「出口」を見失ったかのような様相を呈する黒田日銀の異次元緩和。苦難が予想される中、金融政策はどこへ進むのか、その攻防の歴史について『ドキュメント 日銀漂流―試練と苦悩の四半世紀』の著者であるジャーナリストの西野智彦氏に話を聞いた。

―『ドキュメント 日銀漂流』(岩波書店)出版の経緯は?

 2019年4月に『平成金融史』(中公新書)を上梓しましたが、日銀関係者から「日銀法改正の記述があっさりし過ぎているのではないか」という指摘が寄せられました。私自身、この法改正は大きな出来事のひとつだと思っていましたが、紙幅の制約もあり、改正の経緯などには触れることができませんでした。

 平成金融史を振り返ると、前半は不良債権問題と金融危機、後半はその結果起きたデフレと異常な量的緩和がクローズアップされます。日銀法改正は、図らずもその両方に大きな影響を与えたと思います。ずっと気になっていたこともあり、今回、日銀法改正まで遡ってまとめようと考えました。

―歴代総裁を軸とした時系列のドキュメントになっています

 今の日銀の異常な金融政策が将来、どんな結末をもたらすのかは、誰も予想できません。今の状況は、いわば大量の〝不発弾〟が金融経済の地中に埋め込まれているに等しいと思っています。日銀マンたちはこれから長い時間をかけ、懸命に知恵を絞りながら不発弾の信管を一本ずつ抜いていく作業を行うことになるでしょう。

 ただ、この抜き方やタイミングを間違えれば、大変な惨事に見舞われるリスクも背負っていますし、将来「なぜこんな無謀な政策を採ったのか」という議論が起こる可能性もあります。その時のためにも、そもそもの経緯をきちんと書き残しておくことは取材者としての務めだと思いました。

政治に振り回される日銀

―日銀法改正を巡る中央銀行の「独立性」の問題に焦点を当てています。

 日銀は長らく大蔵省(現財務省)の支配下にあり、中央銀行として独立していませんでした。その結果、バブルが起き、その反省に立って1997(平成9)年に日銀法が改正されます。日銀法は通貨の基本法ですから、本来であればもっと深い議論が必要だったのですが、当時はバブル崩壊の責任をめぐって大蔵省バッシングが起き、大蔵省の影響力を弱めるための改正議論に矮小化されてしまいました。

 日銀にとっては「棚ぼた」で法改正が転がり込んだわけですが、自らの実力で勝ち取ったものではありません。、なのに「独立だ、独立だ」と肩に力が入り過ぎた結果、速水優総裁時代(98~03年)にゼロ金利解除のタイミングを誤るという失策を犯してしまう。その後も信頼回復のために量的緩和を大幅に拡大せざるを得なくなり、政治からの圧力も加わって禁断の政策を展開せざるを得なくなっていきました。

 日銀法改正がなければ、量的緩和に進まなかったと言うつもりはありません。ただ、非常に難しい時期に法改正が降って湧いた結果、日銀が自意識過剰に陥り、深みにはまっていったことは否めません。また、金融危機対応などの政策判断にも、日銀法改正が影響を与えたことは確かです。

―法改正以後も、日銀は政治に振り回され続けます。

 リクルートや佐川急便事件などをきっかけに、90年代初めから政治改革が始まりました。政治の行き詰まりを打破するために、政治家たちは選挙制度改革など様々な改革を断行する。そうした改革熱の流れの中に大蔵省改革があり、日銀法改正もありました。

 ただ、官邸主導の「決められる政治」を目指して統治機構を改革する議論の中で、日銀法改正だけが「政治からの独立」という逆向きの方向を向いていました。政治家たちは、中央銀行を独立させることの意味を十分理解する間もなく、あっという間に法改正してしまったわけです。官邸中心の素早い意思決定と、中央銀行の独立性がどう整合するのか、意見対立が起きた際にどう調整するのか、政治家たちは腑に落ちていなかったと思います。

 結果として政治サイドには、日銀はなぜ思うように動いてくれないのかというフラストレーションが溜まっていきます。かつては大蔵省が間に入って日銀に政治の意思を伝えてきましたが、その関与がなくなると、どうなるか。政治と日銀が直接向き合えば、政策のフリーハンドを指向する日銀と、政治主導を旨とする政治が衝突しないわけがありません。

―政治と中央銀行の認識のズレが表面化した結果だと。

 選挙で選ばれ、国民の負託を受けた政治意思に日銀が従わないのはおかしいという意見が出るのは、最初から十分予想されたことでした。そもそも選挙で選ばれていない中央銀行にどこまで権限を認めるかは、世界共通の悩ましいテーマでもあります。無条件に独立できるわけではないし、逆に民意に従えば良いというものでもない。日本でも正解がなかなか見出せないまま、法改正から四半世紀、デフレ克服を旗印に今の異常な金融政策を強いられているというのが現状です。

 本来、中央銀行の独立性とは、政治の短期的な意思に金融経済が振り回されないよう、一定の距離を置いておくべきだという歴史の経験から学んだ知恵のようなものです。ところが、第二次大戦後に国民の支持によって独立が与えられたドイツとは異なり、日銀は十分な実績と議論もないまま法的な独立を手にしてしまった。そこに悲劇があったのだと思います。

黒田日銀と菅政権

―黒田東彦総裁就任から7年。黒田日銀をどう見ていますか。

 黒田氏自身が総裁就任時に日銀に変化を求め、7年間で日銀が劇的に変わったことは事実です。しかし厳密に言えば、2%の物価目標を明記した政府との「共同声明」は白川方明前総裁時代(08~13年)のもの。その内容には当時の安倍晋三首相の強い力が働いていますが、表向きには日銀が自発的に考え、政府と共同でまとめたことになっています。黒田氏からすれば、共同声明は白川時代の産物で、自分はそれを達成させるために金融政策を行っているだけだと思っているでしょう。

 ただ、白川時代はまだ金融政策を「正常化」させるルートを常に意識していました。例えるなら、未知の深い洞窟に挑むにあたって命綱を体に縛り付けて慎重に降りていくように、白川前総裁は戻ること(出口)を常に意識していました。ただし、その降り方は慎重で、見ている側からすれば、政策があまりに小出しに見えた。

 一方の黒田日銀は、命綱を体に縛り付けずに猛スピードで洞窟を降りている。それは、出口を意識していないからではないか―。このように見ている日銀関係者は少なくありません。黒田総裁以前と以後では、政策のベクトルは連続していますが、出口戦略を意識せずに飛び降りたという点で、両者は不連続なのだと思います。

―黒田総裁を生んだ安倍政権に代わって菅政権が誕生しました。今後の日銀の金融政策は?

 菅義偉総理は「アベノミクスを引き継ぐ」と言っています。それは煎じ詰めれば、居心地の良い金融環境を維持していくということです。「(物価上昇率)2年2%の達成」の意欲はすでに安倍政権の後期から消えていて、菅政権でも拘りはないはずです。政治が求めるのは常にぬるま湯の金融政策であって、引き締めを求めることはほとんどありません。そうした政治からの要請に対し、日銀が今後何をするのか、だと思います。

 ポイントは2つあります。ひとつは、政治からの要請を跳ね除けなければならない状況になった時、どうするか。不発弾の例で言えば、信管を抜いている時に市場の反乱で別の不発弾が爆発したり、あるいは予想もしない外部要因でインフレが起きた時です。中央銀行としてはそうした事態を直ちに止めないといけないわけですから、政治が何と言おうと引き締めを行わざるを得ない。

 もうひとつは、そうした非常時態が起きず、延々と低成長が続く場合。政治サイトでは「2%目標は関係ない」と言っていても、日銀は自分たちで作った共同声明ですから目標を降ろすわけにいきません。では、この先もずっと異次元緩和を続けていくのかと言うと、それもできない。そこで出てきたのが、16年の「総括的検証」以降、コツコツ積み重ねてきた〝緩和しているフリをして方向転換する〟やり方です。

「ポスト黒田」の行方

―不発弾が爆発しない限り、大きな変化はない?

 黒田総裁も「大きな方向転換はない」と言っています。恐らく今後は、緩和の方向性は変えず、場合によっては緩和をさらに強化するように見せながら、実態としては少しずつ正常化の方向にもっていくような政策を行っていくのでしょう。黒田氏の次は誰が総裁になるのかは分かりませんが、相当な試練が待ち受けている。いずれにせよ、劇的なことを行うにはリスクが蓄積し過ぎています。あくまでも緩和的環境を維持しながら、共同声明の見直しも視野に入れた軌道修正を行っていくのではないかと思います。

―日銀法改正から四半世紀を振り返って。

 90年代に日本が突き付けられていた不良債権問題などの課題を突破するためには、政治主導が必要でした。しかし、その政治主導の結果が今の日銀の金融政策だとすれば、私たちは一体、どこに意思決定のあり方を求めればよいのか、自問自答せざるを得ません。政治主導の意思決定メカニズムを昔の官僚主導に戻せばよいというものでもない。結局、良きリーダーが良き政治を行うことにしか答えがないのであれば、改めて政治のあり方を問い直す以外に道はないのではないでしょうか。

 一方、日銀はこの四半世紀の間、残念ながら国民から信頼されるような「トラックレコード(実績)」を残すことができませんでした。そうした中で、どんなに「独立性」と叫んでみても、説得力には乏しい。今後、積みあがった膨大な不発弾から信管を抜く地道な作業を続け、国民から信頼を得ることで、真の独立性を目指していくことになると思います。

プロフィール にしの・ともひこ―1958年生まれ。慶應義塾大学卒業後、時事通信社で編集局、TBSテレビで報道局に所属し、日本銀行、首相官邸、大蔵省、自民党などを担当。「筑紫哲也NEWS23」「報道特集」「Nスタ」の制作プロデューサーを務めた。2020年11月『ドキュメント 日銀漂流―試練と苦悩の四半世紀』を上梓。

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