ZAITEN2026年1月号
大阪松竹座閉館で「近松が泣く」の非難の声―
松竹で続く内輪の人材登用の「黒歴史」
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歌舞伎界を描いた映画『国宝』が2025年に大ヒット。公開から5カ月余りで観客1200万人、興行収入170億円を突破した。梨園と密接な松竹は潤っていると思いきや、映画の配給元は東宝。人材難が嘆かれて久しい松竹ではこんな機会損失が珍しくない。業績低迷の同社は8月に大阪・道頓堀の大劇場「大阪松竹座」の来年閉館を発表。識者間で「劇場文化の灯火が消えてしまう」と怨嗟の声が続々上がっている。
〈「流浪の民」となる上方歌舞伎の危機〉(25年9月7日付『産経新聞』)
〈近松門左衛門が泣いている〉(10月26日付『日本経済新聞』)―。
閉館発表後、新聞各紙はこんな記事を相次ぎ掲載した。
上方歌舞伎の起源は道頓堀開削(1615年完成)に尽力した安井道卜(1582〜1664年)が街に賑わいを呼ぼうと、芝居小屋を誘致・移転したのが始まり。1653年には江戸幕府が道頓堀の「芝居名代五株」を公認。歌舞伎や浄瑠璃の興行権を5つに限って認め、これが後に「道頓堀五座」(弁天座・朝日座(旧豊竹座)・角座・中座・浪花座(旧竹本座))となる。
元禄年間(1688〜1704年)以降、近松門左衛門(1653〜1725年)が浄瑠璃劇「曽根崎心中」をはじめ代表作の初演を「竹本座」で行った一方、「豊竹座」が歌舞伎「八百屋お七歌祭文」の作者で知られる紀海音(1663〜1742年)を起用し集客を競ったという。
......続きはZAITEN1月号で。
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