2021年08月号

官僚あがりの“在任18年”職業知事がもたらした県政の歪み

徳島・飯泉知事に湧いた「カネとオンナ」疑惑【8/18無料公開】

カテゴリ:政治・国際

さる2021年8月16日、任期満了で鳥取県の平井伸治知事に「全国知事会会長」の職を譲ることが決まった徳島県の飯泉嘉門知事(会長交代は9月3日)――。飯泉知事にとって、全国知事会会長の交代は"絶好"のタイミングだったのかもしれない。いや、少なくとも、安堵すべき時期だったことは確かなはずだ。なぜなら、飯泉知事、地元・徳島であるスキャンダルが持ち上がっているからに他ならない......。次期衆議院選挙への出馬も取り沙汰される現役の「在任最長知事」の醜聞と徳島県勢の"低迷"を報じた本誌「ZAITEN」2021年8月号(7月1日発売)のレポートを今回、特別に無料公開する。

徳島県知事_飯泉嘉門サイトから.jpg飯泉嘉門・徳島県知事(公式サイトより)

 四国4県の南東に位置する徳島県は、人口にして約72万人の小さな自治体である。県の中心部にある徳島市は徳島駅の周辺ですら人の姿はまばら、アーケード街はシャッター通りと化している。夜の繁華街を歩くと「閉店」「休業」の貼り紙だらけ。新型コロナの影響もあるだろうが、客引きも見当たらず、明かりがつく店はラーメン屋かコンビニくらいのものだ。

 人口減少と高齢化が著しく、名産品や観光資源の乏しい徳島県だが、とりわけこの10数年、不名誉なワースト記録の数々を積み上げてきた。

 赤字法人率(12年連続)、糖尿病死亡率(直近10年で6回)は全国でワースト1位。観光実績を示す年間宿泊者数(6年ぶりに最下位脱出)や、民間調査会社のブランド総合研究所が発表する「47都道府県魅力度」ではワースト2位に沈んでいる。

周囲はイエスマンばかり

 まさに全国有数の〝衰退する自治体〟だが、県庁OBに言わせれば「徳島県の疲弊は知事の多選の弊害に他ならない」という。

「今の県庁は、職員全員が知事の顔色ばかり気にして、県民の方をまったく向いていない。知事が打ち出した政策は竜頭蛇尾のパフォーマンスばかりだが、そのやり方に異論を唱える職員はことごとく冷遇され、優秀な人材は知事周辺から消えていく。3月初頭、新型コロナ変異株が徳島県内で初確認されたと国から連絡があったのに、県の公式発表はそれから10日も遅れた。このことからも分かるように、誰も知事の失点隠蔽を指摘できないほど、イエスマンばかりになっているんです」

 県知事の名は飯泉嘉門(60)。5期18年目という在任期間は徳島県政史上最長だ。飯泉の権力は絶対的で、議会を抑えてチェック機能を働かせなくし、自身の意向に難色を示す市町村の首長は徹底的に干し上げて選挙で潰しにかかるという。その力の歪さを目撃した自治体関係者が証言する。

「数年前、飯泉知事が出席予定の会合があったんですが、わざわざ県職員が何度も事前に会合場所を視察しに来たんです。どうも車の停め方や知事の動線の確認をしているみたいで、『こっちで案内するから大丈夫ですよ』と声をかけても、何かに取り憑かれたかのように自主的なリハーサルを繰り返していた。イベント当日、県庁幹部と見られる人たちが前乗りし、部下が列をなして知事の到着を〝お出迎え〟するなんて光景も日常茶飯事ですね。とにかく、県職員はいつも異常なほどピリピリして、知事に怯えているような様子です」

 2期目の2008年には、部下の県職員が自殺するという痛ましい事件も起きた。

「徳島市内中心部の再開発計画を担当していた課長が、首を吊って命を絶ったのです。課長は県から徳島市に出向し、再開発を推進していた。ところが、そこに政治的な思惑が絡んで、飯泉知事と当時の原秀樹市長が対立。知事は課長を県に呼び戻し、再開発を阻止する役回りを担わせた。課長からしたら、一緒にがんばってきた仲間たちを潰す形で板挟みになった。その葛藤が、自殺の一因とも言われています」(地元情報筋)

〝贔屓女性〟が複数人

 過剰なほどにトップを忖度する光景は、まるで中世の〝お殿様と家臣〟のような印象すら受ける。だが実は、飯泉嘉門はもともと徳島県と縁のない県外人だ。

 生まれは1960年、大阪府の池田市。84年に東大法学部を卒業後、旧自治省へ入省し、埼玉県企画財政部財政課長などを経て、01年に総務省から部長として徳島県に出向してきた。03年の知事選に自民党の推薦を受け初出馬し、前職の大田正を破る。以後4度の選挙に勝利、19年からは全国知事会の会長も務めている。

 地元紙の記者が解説する。

「飯泉さんは戦後の公選制で初めて、かつ唯一の県外出身知事です。官僚あがりの〝職業知事〟らしく、中央とのパイプはそれなりにありますが、打ち出す政策に長期的なビジョンはほとんど感じられません。『どれだけ本気で徳島のことを考えているのか』と怪しむ県民も多い。実際、知事は妻帯者で子どもはいませんが、徳島に来てから20年以上も経つのに、妻を千葉県の家に置いたまま自身は単身赴任を続けています。奥さんが徳島入りするのは、年末の知事の政治資金パーティの時ぐらい。徳島に骨を埋める気がないと批判されるのも仕方ありません」

 関東に妻を残す一方で、飯泉が単身赴任先の徳島で〝贔屓にしてきた女性〟は複数人いるという。

「1人目は『知事行きつけのフランス料理店』と雑誌で紹介された店の女マスター。有力な元県議の姉で、県庁の北に店を構えていたことから〝北のマダム〟と呼ばれます。2人目は〝南の女将〟。知事が関係者との宴会を繰り返した県庁南に位置する小料理屋の女店主です。そして3人目が〝記念オケの女王〟ことK。『例の脱税事件』の後、行方をくらませています」(前出情報筋)

 記念オケとは、飯泉が3期目に設立した「とくしま記念オーケストラ」(とくしま国民文化祭記念管弦楽団)のこと。この知事肝いりの文化事業をめぐる「行政私物化」の疑いこそ、〝飯泉県政最大のスキャンダル〟と言われる「記念オケ問題」だ。

「もともとクラシック音楽を趣味とする飯泉知事が、11年に『音楽文化が息づくまちづくり』を謳い、東京の音楽プロダクションの女性代表だったKを県の政策参与に任命しました。Kは知事が埼玉県の財政課長だった頃に知り合ったとされる20数年来の知己。行政側のプレイヤーとして事業の立案や運営に関与する一方で、事業者として演奏会の下請けに入り込み巨利を得ていたことが、その後の脱税事件により表面化しました」(前出記者)

再燃した「記念オケ」問題

 17年5月、東京国税局がKを法人税など約3000万円の脱税容疑で東京地検に告発。その翌年には執行猶予付きの有罪判決が下った。実は、音楽プロダクションは職員がKひとりだけという〝ハリボテ会社〟で、これまでに一度も税務申告をしたことがなかったという。そんなKに渡った公的資金は、13年8月から16年7月までの3年間だけで約3億6800万円。そのうち、手配した演奏家への支払いなどを引いた約1億2900万円がKの所得になっていた。

「最大の問題は、公的資金の流れの不透明さと積算根拠の謎です。記念オケには7年間で10億円を越す公的資金が投入されましたが、その細目の大半は未公開。また、これとは別にハイヤー代や旅費名目でKに数千万円が支出されたと見られます。なぜ知事はKを重用し、これほどの特別扱いをしたのか。納得できる説明はなされていません」(前出記者)

 図に示すように、記念オケ事業は、任意団体の基金や外郭団体の徳島県文化振興財団を噛ませ、さらに民間業者の下請けを重ねることでカネの流れを不透明化するスキームになっていた。

 県民は真相究明を望むも、飯泉は「県は被害者だ」「民間業者の取引内容に関すること」などとして県の直接的関与を否定。県議会では、最大会派である自民党の反対によってKの参考人招致が否決された。飯泉知事と自民党県連が水面下で手を組み、強引に幕引きを図ったのだ。

 ところが、闇に葬られようとしていた「記念オケ問題」が今年6月、急展開を見せたのである。疑惑を独自に調査し続けている無所属の扶川敦県議が話す。

「私が6月の記者会見で明らかにしたのは、Kの脱税事件に関する刑事確定訴訟記録の一部です。関係者が弁護士を通じて検察へ開示請求したものを、許可を得て入手しました。訴訟記録には、県側からKへ送られたメールが残っており、県と財団の職員からなる『音楽文化創造チーム』がKに代わって作成した演奏会の見積書や請求書、あるいは県の文化振興課の『文化創造室』名義による演奏会経費の書類が添付されていました。メール本文には、『捺印のうえご持参ください』『なるべく早く額を確定したいと考えています』などと記されています」

 さらに供述調書によると、Kは「私が見積書や請求書を作成したことはない」「金額は、実際に私のプロダクションが演奏家らへ支払った額より多く、県側も了承の上で差額を『手間賃』として受けとるものと思っていた」という趣旨を検察に話していたという。

 つまり、Kが常識では考えられない巨額の利益を得たカラクリに、県側が具体的に関与していた可能性が極めて高くなったのである。扶川県議が続ける。

「捜査側が作成した修正損益計算書によると、Kの記念オケ事業をめぐる売り上げの利益率は3割から4割に達しています。代表ひとりが運営する零細プロダクションが大きな利益を得ることができた理由は、業務の発注元である県や財団側が、実際の経費よりも大きな金額になることを承知で見積書等を作成し、その通りに支払っていたからではないか。そして、そんな大それたことを、現場の職員の判断だけでできるものなのか。改めて県に調査を求め、議会でも検証したいと思います」

知事とKの〝密〟すぎる関係

 当時の関係者にあたると、Kと直接やりとりをしていた職員や中間管理職たちは皆、申し合わせたかのように「覚えていません」「業務は適正に行われていました」などと釈明した。なお、現在の福井廣祐副知事は、当時、文化振興課を所管する県民環境部の部長だったが、県庁で面会予約を申し込んだところ、秘書課を通じて「丸2日間、様々な応対により多忙」との理由で断られた。

 県庁職員たちの口は固いが、Kが知事の権力を背景に、事業を我が物顔で取り仕切っていたことは関係者の証言で裏付けられた。

「ある公演のリハーサルをめぐって、楽器のピッチのことで意見を述べた演出担当者がKさんの不興を買い、プロジェクトを降ろされるということがあった。この演出担当者は正真正銘のプロで実績も十分だったのですが......。裏でKが知事に『あの人なんなん⁉ 外してや』と注文したのです」(徳島県音楽事業関係者)

 さらに取材を進めると、ある関係者は絶対匿名を条件に、当時の状況をこう証言した。

「記念オケは、知事が力を入れる文化行政の目玉事業でした。県庁内では知事の肝いりという意味を込めて『直轄』と呼ばれていたほどです。その中で、Kは知事の威光を笠に着て、県庁や財団の職員たちに無茶苦茶な要求をしていた。スケジュールの逼迫と激務が重なり、心身を病む職員もいました。問題の見積書作成に知事の指示があったかはコメントできませんが......知事とKは、演奏会会場では肩と肩がひっつくような距離感でしたし、直接電話でやりとりするホットラインの存在もみんなが知っていました。県職員がKの背後に知事の影を見ていたかと聞かれれば、ノーとは言えません」

 記念オケ問題の再燃で窮地に立たされるかに思える飯泉だが、他方、来る総選挙で国政転身を図る可能性が高まっている。

「知事が衆院徳島1区に出馬する確率は90%以上と見られています。それを支えるのが自民党県連。狙いは飯泉県政と自民県議会を〝馴れ合い〟と批判する自民党の現職、後藤田正純議員の追い落としです」(地元紙記者)

「行政の私物化」疑惑に蓋をしようとする多選知事と、己の権益と政局しか頭にない県議会自民党。県民からは「内輪揉めより県民のために働いてくれ」との悲鳴が上がる。かくして地方は衰退していくのである。

(敬称略、肩書他は掲載当時)

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