ZAITEN2024年01月号

みずほ「自宅待機5年裁判」証人尋問

【全文公開】みずほFG「正当な理由なき〝退職強要〟の暗黒」

カテゴリ:事件・社会

 

 みずほ銀行人事部による執拗な退職強要や、5年に及ぶ自宅待機命令の末に懲戒解雇された元行員の男性が、みずほ銀を訴えた裁判は大きな山場を迎えた。男性は「解雇は無効」として労働契約上の権利を有する地位にあることの確認や、慰謝料1500万円を含む約3300万円の損害賠償と未払い賃金の支払いを求めている。2021年9月の提訴から2年あまりが経過した11月15日に証人尋問が行われ、男性と退職強要をした元人事部参事役が東京地裁の法廷で証言台に立った。

 証人尋問では、男性が正当な理由を説明されないままに退職強要や自宅待機命令を受けた経緯を説明。精神的に追い詰められ2度にわたって自殺を図ろうとした苦しみを涙ながらに語った。一方、みずほ銀の元人事部担当者は、男性に退職強要と自宅待機を命じた当時に人事部で特命担当、いわゆる事故処理担当としてこの問題に深く関与していた小野正詔。18年7月からシンガポールに赴任している。午前中には小野への尋問が行われたが、その証言は退職強要や自宅待機に正当性があるとは到底思えない内容だった。


興銀出身部長に送った
「お願い」メール


 男性が退職強要と自宅待機命令を受け、内部通報をしても対応してもらえず懲戒解雇された経緯については、これまで本誌でも度々伝えてきた。本誌のホームページで過去原稿を無料公開しているので、詳細はこちらで確認できる。ここでは退職強要と自宅待機までの経緯を改めて振り返りたい。

 事の始まりは男性が京都支店に勤務していた14年12月だった。男性は地方銀行からみずほ銀に07年に転職し、関西エリア限定採用で入社した。以降、タブレット端末を活用したコンサルティングで優秀な成績を上げて、社内の「模範」となる取り組みを表彰する「みずほ銀行アウォード」を合計4回受賞し、当時みずほフィナンシャルグループ(FG)社長だった佐藤康博からは2度激励を受けた。2回目には肩を組んで記念撮影までして、「活躍を期待している。また頑張ってくれ」と言葉をかけられていた。こうした業績を上げていたところ、ある日突然人事部による「臨店」が支店に入り、男性について上司や同僚などに聞き取り調査が行われる。男性が周りから聞いたところによると、服務規律違反に該当する素行問題はないかなどを聞かれたようだったが、男性自身に聞き取り調査が行われることはなかった。

 なぜこんな不可解な調査が行われたのか。男性には1つだけ心当たりがあった。それが、同月に男性が旧みずほコーポレート銀行(CB)京都営業部の部長だった須見則夫(旧日本興業銀行出身・88年入行)にメールを送ったことだった。当時、旧みずほ銀と旧CBが合併して、京都支店では同じフロアにいた。須見は営業時間中に来店客から見える場所で足を組みながら新聞を読んでいた。職場内や客から苦情が続いたために、支店の顧客満足度の向上を目指すCS担当の責任者だった男性は、上司の課長と文面を相談の上、須見に顧客の前でそのような態度を見せないようにお願いするメールを送った。

 これが、須見の逆鱗に触れたと支店内でささやかれた。須見は人事に強く、出世すると目されており、後にみずほ銀常務執行役員を務めた。現在はみずほリース常務執行役員の職にある。人事部による「臨店」はこのメールを送った直後に実施された。調査が終わった後に、男性は須見と廊下ですれ違った。そのときのことを男性はこう振り返る。

「臨店最終日にも呼ばれることなく、私には直接注意や指導もありませんでした。ところが後日廊下で須見部長とすれ違うと、にらまれながら小声で『覚えておけよ』と言われました。背筋が凍る思いがして報復人事を覚悟しました」

 男性の予感は的中する。翌15年3月から東京・大手町の本部人事部に呼び出されるようになる。対応したのが当時参事役の小野と油井寛だった。小野からは調査結果を基に「部下への指導が厳しすぎる」と言われ、須見へのメールについても「須見部長への失礼な態度についてどう思っているのだ」と詰問された。7月には営業職を外され、大阪のウェルスマーケティング部PB室の事務職に異動する。しかし、それだけでは済まなかった。16年3月に小野らに呼び出されたときに「会社を辞めてください。4月からは来なくて結構です」と告げられる。男性が「理解できません」と拒否すると、4月にも再度退職を強要された。ここでも拒否すると、明確な理由を説明されないまま、自宅待機を命じられた。小野らによる呼び出しは同年10月まで10回も行われる。謝罪文を書かされ、「覚悟を示せ」と何度も辞職を強要されたことなどによって体調に異変をきたし、心療内科でうつ病と診断された。17年5月には、男性は自分には何も通知がないまま、4月に東京に異動していたことを知る。その後も自宅待機や嫌がらせが続き、男性は18年12月から内部通報を始めるが、コンプライアンス統括グループには対応してもらえなかった。最終的にはみずほ側が懲戒処分を乱発し、男性は21年5月に懲戒解雇された。


「強要」ではなく「勧奨」
自宅待機に上司の関与


 証人尋問で小野は男性について「人の好き嫌いが激しく、かっとなると歯止めがかからない。同僚を長時間立たせたほか、上司には反抗的な態度をしていた」と主張し、「繰り返し指導をしてきたが、職場での振る舞いがこれ以上改善は見込めないと判断して退職勧奨をすることになった」と発言。「退職強要」ではなく、「退職勧奨」だったと主張した。しかも「退職勧奨」は最初の2回だけで、その後に呼び出したときには勧奨もしていないと否定した。みずほ側が裁判所に提出した面談の音声記録には退職強要を窺わせる発言が残っているが「記憶にありません」と述べた。

 ただ、男性は入社以来、1度も人事処分を受けたことがない。しかも、「アウォード」だけでなく社内の賞を何度も受賞し、社内で1000人規模の講演の講師も務めるほど、業務については評価されていた。男性側弁護人が「男性は模範行員だったのでは」と質問したのに対して、小野は「アウォード」以外の受賞や講演については知らなかったとしながらも、男性が模範行員には該当しないと説明した。

「(アウォードの)趣旨はどちらかというと従業員のモチベーションを上げていくことが目的であって、模範行員だからアウォードを受賞するのではないと思います。人事部の評価は行動面を含めた上での評価なので(男性は)模範行員に該当しません」

メールが原因と認めず
送信について男性を批判

 また、小野は「退職勧奨」は自らが起案し、自宅待機命令については「権限を事前に与えられていた」と述べた。退職強要と自宅待機命令当時の人事グループ長は、やはり興銀出身でのちにみずほ銀副頭取を務めた石井哲。石井はみずほFGの代表執行役専務も兼任していたが、21年のみずほ銀の大規模システム障害を受けて取締役を辞任している。自宅待機命令は人事部として判断して、人事グループ長も承知していたのかと問われると、小野は「承知していました」と男性への命令が石井も含めた組織として決定したものであることを認めた。

 証人尋問における大きな焦点の1つは、男性が須見に送ったメールが、退職強要や5年に及ぶ自宅待機の要因になったのかどうかだった。メールが要因の1つになっているかを問われると、小野は「なっていないと思います」と否定。「臨店」が須見の依頼だったのかの質問に対しても「依頼ではないです」と否定した。

 男性は、小野から人事面談の際に「当時の須見部長の行動は誰もがおかしい行動だと思っている」、「相手が悪いな。しかし、みずほにいる以上、ね」と言われたことを覚えている。異動はメールが原因だと男性が確認した瞬間だった。しかし、小野はこの発言を覚えているかと問われると、「ないです」と言うだけだった。

 メールをめぐる経緯については、みずほ側は男性と須見がトラブルになったことは認めていた。その一方で、ここにきて新たな主張もしている。小野は、須見がメールを受けて「営業部内からも開店中は(新聞を広げて読むのは)やめるべきだという声が挙がったことで、(須見)部長が支店長に陳謝した」と説明した。これに対して男性側弁護人が「陳謝したということは、不適切と認めたのではないですか」と問うと、小野は須見が「新聞を広げて読んでいたことは事実」だと認めた上で、その解釈については次のような説明を始めた。

「(須見が)お客様からお叱りの声をいただいたのは自然なことだと思います。聞いているのは、後日お客様に対して(須見)部長がお詫びをしたところ、お客様は何のことか分からないとおっしゃられたそうです。お客様のクレームが本当にあったのがどうかはわかりません」

 みずほ側としては、あくまで退職強要や自宅待機命令の原因ではないと主張したいのだろう。すると、裁判官もメールについて質問した。メールの内容や男性がメールを送った行為についての評価を聞くと、小野は「やり方は間違っていたと思います」と断言した。男性がCS担当として、顧客からのクレームを受けて改善する立場であっても、須見に直接伝えるのではなく、上司に相談するのがあるべき姿だったと述べたのだ。

 しかし、男性は上司に相談している。副支店長に相談した際には「人事に強い興銀出身だから関わらない方がいい」と言われた。それでも、やはり伝えた方がいいと考えて、上司だった課長と相談しながら丁寧な文面を作っていた。

 男性への証人尋問でも、メールの件が焦点となった。弁護人から「メールを送ったことを後悔していますか」と聞かれると、涙声になりながら、「全く後悔をしていません」と声を振り絞って答えた。裁判官からもメールの件を問われ、「上司と相談の上での行動であり、手続き的におかしいとは思っていません」と主張した。

解明されぬ点が多いまま
裁判は次回結審へ

 男性が内部通報した後のみずほ側の対応については小野が人事部から異動した時期でもあり、証人尋問ではほとんど掘り下げた検証が行われなかった。男性の自宅待機期間が2年8カ月を迎えた18年12月、実態の解明を求めてパワハラを通報したのに対して、みずほ側は本来は内部通報制度に基づいてコンプライアンス統括グループが動くべきところを、退職強要をした当事者である人事部が急に態度を軟化させて接触を図ろうとするなど、隠蔽と捉えられるような行動に出た。男性の病状が悪化する中、19年2月にはみずほ側代理人から「調査報告書」が送られてくる。その内容は、小野らに退職を強要する言動は認められず、自宅待機命令は精神的な負荷を与える目的なかったなどとして、みずほ側の対応は問題ないと結論付けたものだった。男性の問題行動についても書かれていたが、身に覚えのないものばかり。「臨店」の時と同様に、男性へのヒアリングはなく、小野と油井に聞いただけで作られた報告書だった。

 男性は報告書に抗議して、当時はFG会長で経団連副会長を務めていた佐藤や、社外取締役などにも実態調査を求めて通報を行う。精神的には限界を迎えていたため、主治医からはみずほの代理人弁護士や人事部などとの接触は避けるように指示を受け、みずほ側からの一方的な連絡や郵便物を拒否。パワハラ防止法に沿ったコンプライアンス統括グループからの連絡を待ち続けた。

 すると、みずほ側の態度は再度硬化する。20年10月以降、「就労継続の意思と健康状態への回答がなかった」として懲戒処分を始める。翌21年2月には、「出社命令に従わなかった」として1か月の出勤停止処分を受けた。男性は知らなかったが、前年11月14日で自宅待機期間が終わって、翌日から出勤しなければならない状態だったと言うのだ。その後もなぜか給与振り込みの遅延なども起こり、最終的には21年5月に懲戒解雇処分とした。

 14年12月の臨店から、懲戒解雇に至るまでの経過を振り返ってみると、日本を代表するメガバンクとしてありえない対応だと言わざるを得ない。裁判官は小野に対して、自宅待機が長期間にわたって膠着状態となったときに、期限の出口をいつ頃までにするのか考えていなかったのかと質問した。小野は「具体的な時期を決めたわけではなかったと思います」と述べ、男性を受け入れる部署の調整ができなかったなどと釈明した。

 男性側の弁護団は裁判所に対し、みずほ側からのさらなる証人を求めていた。みずほFGの前会長で現在は特別顧問の佐藤、前FG社長の坂井辰史、当時人事グループ長の石井、FGとみずほ銀の現人事グループ長の上ノ山信宏、内部通報当時FG社外取締役だった元経済財政政策担当大臣の大田弘子、東京高検検事長と最高裁判事を務めた甲斐中辰夫、それに現在も社外取締役を務める小林いずみの7人だ。みずほ銀の対応やコンプライアンス体制を検証するには、必要な証人と言える。しかし、裁判所は小野と男性の証人尋問が終わったところで、7人の証人を求める申請を却下した。裁判は来年2月2日に次回期日が入り、結審する見通しだ。この裁判では証人尋問に至る前に、みずほ側が裁判所からの3度の和解提案を拒否するなど、和解協議が決裂していた。男性側もあくまで復職を求めて、判決が言い渡される見通しだ。

 今回の証人尋問をもってしても、男性が退職強要や5年に及ぶ自宅待機を命じられたことに対して、みずほ側に正当な理由があるとは感じられない。唯一見えたのは、みずほの体質と組織の深い闇だけだ。(敬称略)

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